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母の遺したもの 母の味①

母は料理も好きだった。綺麗に飾ったり盛り付けたり、ということには興味がなく、味噌や果実酒や漬物など、何でも元から作るのが好きで、一つの物に凝ると失敗を繰り返しながら何度でも作った。旬を大事にして季節ごとに最も新鮮な物を仕入れては料理をしたので、その季節が巡ってくると母の味を思い出す。

1月 正月のお節はあまり作らなかったが、黒豆と豆きんとんは必ず作った。黒豆は「えぐみ」を嫌って何度も湯でこぼし上品な味に煮た。私はえぐいのが好きだったので、内心では「湯でこぼさないで~」と思っていた。今自分で煮るときは、漬け汁にそのまま味を付けて煮てしまう。
豆きんとんはとても美味しかった。私が真似て煮ても、あのこってりと粘りのきいた甘みを出すことができない。たまに栗の甘露煮とさつま芋を使って栗きんとんを作ったが、豆きんとんの方がずっと美味しかった。

雑煮は関東風で、トリ肉、里芋、大根、人参を具にしてすまし汁を作り、焼いた餅を入れて、ほうれん草、なると巻、海苔で飾る。

2月 五日市町(現あきる野市)に引っ越して驚いたのが、「鍛冶屋」と「麹屋」があったことだ。これ一つで商売が成り立つというのが不思議な気がした。
母は、2月になって新しい麹が出来ると麹屋から買って来て、1年分の味噌を作った。大豆を煮て太い棒でついて潰し、麹と塩を混ぜ合わせる。味噌を潰す棒を、母は木を削って自分で作った。大きなポリパケツに2杯、潰すのは父や兄の役目だった。米麹や麦麹で塩の配合も変えていろいろな味噌を作って楽しんでいたようだ。よく味噌は3年目が一番美味しいというが、1年くらいの、まだ塩が慣れていなくて麹の香りがする味噌の美味しさは格別だ。若い味噌が食べられるというのも、自家製味噌のいいところだろう。

3月、4月 山菜が出始めると、野山へ行ってわらび、つくし、よもぎなどを摘んできた。中でもつくしは毎年必ず摘んだ。料理法はただ一つ、「梅干煮」だ。摘んだ時間の3倍かけてハカマを取ったつくしを、味醂、醤油、ちぎった梅干で煮る。だしは入れない。母の家に伝わる味付けらしい。(4月のブログ記事参照)

よもぎは、一度茹でて、上新粉をせいろで蒸すときに一緒にいれてさらに熱を加えるが柔らかくならず、非常に強い繊維が残っている。なるべく繊維が細かくなるように刻んで、蒸した上新粉に練りこむ。熱いしなかなか混ざらないし、嫌な仕事だった。でもあんこを包んで食べると、これほど美味しいものはない。よもぎの香りが立ち昇ってくる。

筍が出始めると、竹林を持っている農家へ買いに行った。その場で掘ってもらうのだ。主人が出て来て、ほんの10センチほどしか顔を出していない筍の周りの土を、傷つけないように気をつけながら少し掘る。それから「筍の先がちょっと曲がっている方向に根があるので、そこを狙って掘るんだよ。」などと説明しながら、鍬を一気に振り下ろし、ぐいっと持ち上げるようにすると、スコン、と自分から飛び出して来るように大きな筍が掘れた。掘りたての筍は刺身で食べられるそうだ。
買って来た筍は、他に何の材料も加えず、筍だけを煮て大皿に盛った。さっき掘ったばかりの筍は甘くて柔らかくて春の味がした。

蕗はキャラブキにした。濃い味付けで長時間煮た蕗は細く縮んだようになって、私はあまり好きではなかったが、お茶漬けにはよく合った。

母の遺したもの 母の味①_b0134988_1156293.jpg
◎母は、私の結婚式のお色直しのドレスの裾を切って仕立て直したとき、切り取った布で人形を作ってプレゼントしてくれた。
貴重なものなのに、無造作に何年もピアノの上に飾ったまま、ほこりだらけにしてしまった。

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スカートの下は、下着の長ズボンと3枚重ねのペチコート。スカートには裏地がついている。

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◎結婚式でバイオリンを弾く私。このドレスの裾を切ってよそ行きワンピースに仕立て直した。ドレスは、私が布を選んで母が縫った。

by pataponm | 2008-12-17 15:47 | 母の遺したもの  

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