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水上バスツアー 転じて帰宅難民

3月11日に東日本を襲った大地震、みなさまはご無事だったでしょうか。
私は、友人4人と「隅田川水上バスと浜離宮散策、地上47階眺望レストランでのランチ」の楽しいツアー・・・だったはずが地震に遭遇、夜明かし、帰宅難民という苦難の経験をすることになった。

◎気持ちのいい水上バス。訓練中のボートの学生と手を振り合った。スカイツリーが間近に見える。
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◎浜離宮庭園。菜の花畑が素晴らしかった。
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◎眺望レストランからお台場を見る。この数時間後、フジテレビの近くのビルから火の手が上がった。
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◎東京タワーもすぐそこに。約1時間後、地震の揺れで先端が曲がることになる。
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◎私たちが散策した浜離宮が、目の下にまるで絵地図のように見えることにはしゃいでいた。
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食後も話が尽きず、友人の一人が用があるというのでようやく腰を上げたのが2時半過ぎ、47階からエレベーターで下に降りて、それぞれが帰る路線を考えていたときに地震が起きた。
大きくゆっくりと横にスライドするような揺れ。4人が互いに支えあって倒れそうになるのをこらえていた。知らない人がすがりついて来た。

◎地震直後。地震が収まったあとも大きなビルが「みしっ、みしっ」と鳴っていた。体はいつまでも「船酔い」のように揺れている感じ。皆電光掲示板を見上げているが、コマーシャルばかり流していて情報が得られない。
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◎ビルを見上げると、窓ふき作業中のゴンドラが大きく揺れている。中にいた人は恐ろしかったろう。
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同じビルの1階にあるパン屋兼喫茶で3時間ほど様子をみる。携帯電話、メールは通じない。ときどき混乱の網目をくぐって通じることがあり、他の3人は家族や職場と連絡がとれたが私は友人の携帯を借りても通じなかった。
そのうち喫茶が5時半で閉まるので出てほしいと言われて(パン屋は閉店するが、ビル内には留まってもいいということだった)トイレに立ったらそこに公衆電話があり、人が通話している。もしやと思い家に電話すると通じて息子が出た。埼玉の家はコンポが落ちてCDが散乱したなどの被害があったが無事だった。市内は大規模な停電になっているが何故かうちは大丈夫ということだった。息子は父とも連絡をとってくれていて無事を確認することができた。

息子に夫の会社の電話番号を聞き(最近引っ越した事務所の場所を私は知らず、電話番号も携帯に登録していなかった)夫とも連絡がとれたので、パンやサラダを多めに買って友人たちと別れ、新橋で夫と落ち合うことができた。夫の会社は東京駅の近く。地震発生時にこんなに近くに私が居られた偶然が、本当にありがたかった。
不幸中の幸いとも言うべきラッキーな偶然がもうひとつ。今写真の撮影時間を見ると、ビルの47階から呑気にスカイツリーを撮っていた6分後に地震が起きている。あと5分地震が早ければ地上数十メートルのエレベーターの中で宙づりのまま閉じ込められていたわけだ。また、5分遅ければ4人は解散していて長い不安な時間を単独で過ごさなければならなかった。

夫と共に新橋から銀座を通って東京駅まで行く間、多くの人々が歩いていたが、皆不思議に落ち着いて混乱もなかった。
通りの飲食店などは通常通り営業していて、途中夕食を食べることもできた。

会社に到着、まずは寒空に路頭に迷う心配はなくなり、テレビを見て情報を得ることもできるようになった。恐ろしい津波の情報と映像が流されていて、どんなに巨大な地震だったかということを改めて知る。

新幹線が品川まで開通したというので夫と様子を見に行く。やはり思うように運行はしていないらしかった。

◎多くの人が駅の構内で待機している。
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テレビの情報では、JR の一部の駅が、深夜シャッターを下ろして避難していた人たちを締め出したという。東京駅でもそうだったのだろうか。だとしたら、あまりにも非人間的な行為と言わざるを得ない。駅前のブックセンターですら「終日営業します。 どうぞ避難場所としてご利用ください」と張り紙をして夜明かしする人を受け入れていたというのに。

また、私鉄各社や地下鉄は区間を区切ってでも運行できるところから動かしていたのに対し、JR は早い時期から「今日いっぱい運休」と決定していた。有事のとき、そういう姿勢ってどうなの、と言いたくなる。

◎バスを待つ人の大行列。
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翌朝、JR が動き始めたとの情報を得て7時過ぎ、会社を出る。
山手線が動いていないので銀座線で上野へ向かう。想像を絶する寿司詰め電車に乗れたはいいが、上野広小路駅で、前に電車が詰まっているため停車して動かなくなった。そこで降りて徒歩で上野駅へ。

◎上野駅は群衆の波で駅構内などとても入れる状態ではなかった。
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高崎線は諦め、地下鉄やJR を乗り継いで京浜東北線に乗る。路線をよく知っている夫のおかげで効率よく帰路をたどることができたが、間引きのろのろ運転の電車は息も詰まりそうな混み具合で、1時間半身動きもできなかった。途中、貧血のようになって吐き気をこらえながらの強行軍だった。

◎南浦和行きだった電車が途中から大宮行きに変更になったのはラッキー、電車から「吐き出される」という表現がぴったりの群衆が駅の階段を上って行く。
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大宮からは、高崎線に乗るのはやはり決死の覚悟がいるので、遊園地の乗り物みたいな私鉄モノレール、ニューシャトルに乗ってできるだけ自宅の近くまで行く。すいていて座れたのでほっとした。のどかな田園風景、別世界。最寄駅まで娘に車で迎えに来てもらって、会社を出てから5時間、ようやく自宅に到着することができた。

by pataponm | 2011-03-13 14:21 | 東日本大震災  

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