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母の残したもの 彫刻

母が織物や人形作りに没頭し始めたのは、40代半ばからだった。私はそのころ学生で、卒業後はすぐ家を出たので、これらの母の趣味は「母が実家でやっていること」だった。個展などを開くときには手伝いに行ったりはしたが、どちらかといえば直接自分に関わるものではなかった。
でも、セーターは、生まれたときから母の編んだものを身につけていたといっていいくらいなので、セーターを見ていると自分自身の子供時代の思い出も共に蘇えってくる。
母は、一度買った毛糸は大切にして何度も編みなおし、けして無駄にはしなかった。ほどいた毛糸がちりちりになって山のようになっていた様子や、それを画板にまいて蒸気を当てて伸ばしていた様子などが、子供のころの思い出の中にある。
復元した毛糸を玉にする手伝いは私の子供時代の仕事だった。画板からそっと外した輪の状態になった毛糸を、伸ばした私の両腕にかけ、母がその糸を巻いて玉にしていくのだ。いったい、何百回この仕事をしただろう。子供ながらに私はすっかり熟練して、ぴんと張った両腕を八文字に回しながら毛糸を繰り出した。そうすると、玉に巻き取る母は腕を動かす必要がなく、その場でくるくると毛糸を巻いていればいいのだ。
子供のころ見たテレビドラマに、書生がお嬢さんに頼まれて毛糸巻きの手伝いをするシーンがあった。活発なお嬢さんに何か言われて青年がちょっとおどおどする。するとお嬢さんが
「ほら、腕をぴんと張って!」と言う。青年ははっとして「前へならえ」のように腕を前方にぴんと差すのだ。毛糸は腕の間にだらんと垂れたまま。
「おかしい。横にぴんと張らなきゃ。テレビの人、知らないんだ。」と、子供の私は思った。

彫刻もまた、私の子供時代の思い出の中にあるものだ。母は、目黒からあきる野市に引っ越したあと、つまり私が中学を卒業するころにはもう彫刻をやめてしまった。人の紹介で、佐藤忠良先生という今や世界的彫刻家になられた大先生の弟子になって教えを受けることができたのに、後年全く彫刻をやらなくなったのは、やはり本格的に彫刻をやるには場所や経済的な事情が許さなかったのだろうか。気力、才能も不足していたのかも知れない。

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◎個人的にモデルを雇うお金はなかったので、モデルはいつも家族だった。これは、私が9歳くらいのときのレリーフ。ブロンズで仕上げてある。このころ私は髪を長く伸ばしていて、毎朝母が私の髪をポニーテールに結んでくれた。容赦なくぎゅっ、ぎゅっと結わくのが痛かったが、私は黙ってじっと耐えていた・・・、という情景まで思い出す。

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◎10歳くらいのときの私。高さ10センチくらいの小さい作品で、粘土のまま石膏にもしていない(あるいは焼いたのだろうか)。母は何故か気に入っていて、処分した作品の多い中、長い間机の上に置いていた。

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◎これもモデルは私です・・・(あまり見ないで~~!!)
確か小学校6年生くらいだったろうか。目黒の2軒長屋の狭い都営住宅に住んでいたころだ。居間、食堂、寝室を兼ねていた4畳半に折りたたみ式の食卓を出し、その上に椅子を置いてポーズをした。暑い季節で、母が後ろの窓とカーテンを開け放すので「閉めて」と言ったが、「暑いし暗くなるから。誰も通らないよ。」と言って閉めてくれなかった。
ところが、なんと間の悪いことに、遊び友達のヨーコちゃんと弟のアキラくんが窓の横を通りかかったのだ。二人は私を見るなり、固まってしまった(そりゃそうだろう)。椅子を飛び降りて身を隠せば、恥ずかしさが一気に溢れそうで動くことも出来ず、そうかといって開き直って二人に手なんか振ったら異様な光景になってしまうので、私は二人を完全に無視してそれこそ石膏像のようにひたすらポーズをとり続けた。二人が視野から消えるや、「カーテン閉めて!」と叫んだのは言うまでもない。
家の手伝いにお駄賃はなかったが、モデルの仕事には、1時間100円くれた。20分ポーズをとって10分休み、これを2回。完成までに何回かやることになるので、月の小遣い600円の子供にとってはいい臨時収入だった。このポーズのまま、足元にマンガ本を置いて、足の指でページをめくりながら読んでいたのを思い出す。
この作品はブロンズ屋に出してブロンズ像に仕上げた。

他に1歳くらいの赤ちゃんだった私がお昼寝をする石膏像とか、母が自分の姿を鏡に映しながら作った裸婦像(製作する姿を想像すると可笑しいが・・・)とか、いろいろ家にはあったが、ほとんど壊してしまったようだ。
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by pataponm | 2008-11-30 11:24 | 母の遺したもの  

実家の秋

先週、実家に帰った。昔は西多摩郡五日市町だったが今はあきる野市。町から市になっても、山林面積が7割か8割という「山のくらし」は変わらない。東京にもこんなところがあるのだ。
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◎実家の裏庭から川を撮る。北から東へ、庭に沿うように川が流れている。庭から釣りができるのだ。
私が中学のころ、ここに家を建てたが、建築中に家族で様子を見に行ったら、大工さんたちが釣りをしていたことがあった。6月になるとこの川から蛍が舞う。対岸の木にクリスマスツリーのように蛍がとまったものだが、今は10匹出ればいい方らしい。

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◎父と昼食を食べ、夕食の惣菜などを作ったあと、マロンを散歩に連れ出す。父は腰が悪いのでマロンは普段は庭を駆け回るだけ(一度川に落ちたことがある)。リードを持って来ると喜びのあまり狂ったように走り回るので首輪にリードを付けるのにとても時間がかかる。じっとお座りしていればすぐ散歩に行けるのに、おばかさん。
中学のときの通学路にかかる橋。下に流れる川は秋川にそそいでいる。昔は欄干もなく、道も舗装されていなくて、雨が降ればどろんこ道になった。靴底に3センチくらいくっついたどろを橋の縁でこそげ落としたものだ。

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◎とてもきれいな秋の空だった。私は雨女なのに、実家に行くときはいつも晴れ。・・・もしかして、マロンが晴れイヌ? 晴れなきゃ散歩に連れて行ってもらえないからね。

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◎「はやく、はやく、はやく!」とぐいぐい歩くマロン。いつもリードがピン、と張っていて、のどを締め付けるので咳をしながら、なおも引っ張る。ちょっとでもリードを緩めると、たちまち全力で走り始める。

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◎見るもの聞くもの珍しいマロン。散歩の間ずっと道路のにおいをかぎながら歩くので「セレブ犬なのに這いつくばってカッコわるい。」と娘が言っていたが、このごろ少しは頭を上げて歩くようになった。でも、車を見ると大好きな人が乗っていると思って飛びついて行くクセは直らず、危ない。

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◎帰り支度を始めると、どんなにさり気なくそーっとしても感知してマロンは大鳴きをする。後ろ髪を引かれながら実家を後にする。
この辺は、杉植林の山ばかりなので、紅葉している木は少なかったが、空の広さと美しさは楽しめた。夕暮れの空もまたいい。
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by pataponm | 2008-11-27 16:10  

Rさんのバイオリン教室発表会

カルテット・ラ・メールでご一緒しているRさんのバイオリン教室の発表会でお手伝いをした。b0134988_118186.jpg
◎今年の発表会のプログラム。バイオリンだけでなく、Rさんのお嬢さんのピアノの生徒さんやご主人のフルートの生徒さんも参加して賑やかな発表会だった。ファミリーアンサンブルの部では、お父さんお母さん、または兄弟と一緒に演奏する姿がほほえましい。ご両親にフルート、オーボエ、バイオリン、ピアノなど楽器をたしなむ方が結構いて、家族全員で音楽を楽しんでいる様子が伝わってくる。おばあちゃんがチェロ、お母さんがビオラ、二人の男の子がバイオリンという家族もいた。
最後にRさんファミリーも登場、Rさんバイオリン、お嬢さんピアノ、ご主人フルートで、ドップラーの「アンダンテ」をしっとりと演奏された。
私は、一番最後の弦楽合奏でビバルディーの「四季」から「冬」をビオラで参加。年長、大人の生徒さんで構成されるバイオリンパートはアンサンブルがよく揃っていて上手だった。Rさんはソロバイオリンを担当、いつものことながら艶のある美音が素晴らしい。

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◎年少の生徒さんの合奏。「山の音楽家」を演奏した。毎週1回のレッスンなのだから、こんなにたくさんのおチビちゃんたちを毎週、全員みるんだなぁ、と感心した。その他に大人の生徒さんもいるのだ・・・。

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◎Rさんの6歳のお孫さんも、子リスのバイオリンで登場した。おばあちゃまのRさんが手ほどきをしているが、ボーイング練習の最中に居眠りしちゃうんだそうだ。バイオリン弾きながら寝るって、なかなかできることではない?!
り〇ちゃん、ちゃんと指揮のおにいちゃんを見てね~♪
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by pataponm | 2008-11-25 11:32 | 音楽  

ジョン・レノン・ミュージアム

友人のAさんと、さいたま市にあるジョン・レノン・ミュージアムに行った。
Aさんとは、お互いの息子が同じ幼稚園に通った縁で知り合って、その後Aさん一家が他県に引っ越しても、メールのやりとりなどでずっと交流が続いている。
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◎さいたま新都心駅で降りると、そのまま地上に降りることなくミュージアムまで行ける。
Aさんと私は、ジョン・レノンの熱狂的なファンというわけでもないが、若かった一時期ビートルズをよく聞いた。今、ハードロックの好きなAさんとクラシック音楽の好きな私とのわずかな接点が、ビートルズなのだ。

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◎ミュージアム入口。人の気配がなく、休館日? と心配になったが開館していた。来館者は私たちの他に数名だった。入館するとシアターで7分間の、ジョンの生涯を紹介したフィルムを見る。それから9つのゾーンに分かれた展示室を見て行く。年代を追って、学校時代のノートやデビューのころに着ていた皮ジャンパー、レコーディングに使われた録音機などが展示されている。服は「ジョンて、こんなに小さかったの?」と思うくらいサイズが小さく見えた。
このミュージアムは、オノヨーコが中心になって作られたものだからか、ビートルズ時代よりもオノヨーコと知り合って平和活動をしていた時代のジョン・レノンに多くのスペースをとっているように思われる。オノヨーコを紹介した部屋もあり、昇って降りるだけの意味のない階段を昇って天井を見ると、小さく「yes」と白い文字で書いてある例のアートが再現されていた。ジョンはヨーコの個展でこれを見て(実際には階段ではなくはしごだったらしい)、心を動かされたのだ。天井を見たときに「ご苦労さん」とか「おばかさん」という皮肉な言葉ではなく「yes」と書かれていたことに・・・。その日からジョンとヨーコの歴史が始まる。
ヨーコの趣味なのか、ジョンのイメージカラーなのか、ミュージアム全体が白を基調にしていて、壁も階段も展示されているピアノも、白一色だった。最後のメッセージ空間は、ガラス張りの広い部屋に白い大きな板が立っていて、そこにジョンが残した言葉の数々が書かれていた。周りには透明なガラスの椅子があって、人々はそこに座って静かにジョンとの魂の交流の時間を持つのだ。
特設会場では、「ジョン・レノンとリパプール~青春の記憶~」という企画展が開かれていた。12月28日まで開催されている。

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◎ショップで買ってきたみやげ物。ショッピングバッグ(下)に印刷されたジョンの自画像?が好きだ。ペアカップにこの絵をデザインしたものがあったが、ペアでしか売らず、2つ全く同じものだったので買わなかった。あとでHPを見たら、カップの底にジョンとヨーコのそれぞれのサインがプリントされているのでやはり「ペア」カップだったらしい・・・。絵葉書は、ジョンが描いた息子ショーンや家族の絵。

ミュージアム鑑賞のあとは、パスタ屋でランチ。
Aさんと私は、共通の趣味があるわけでもないのに気が合う。「どうしてかしら、きっと笑いのつぼが同じなんだね。」と話したことがあった。数人の人たちと話をしていて、私とAさんだけが笑いのつぼにはまって涙を流すほど笑っているのに、他の人がきょとんとしていることがよくあった。これってある意味、同じ趣味を持つより重要なことじゃない? と思う。

息子が3年保育の幼稚園に入ってしばらくすると、「○○○くん」という同じ名前が毎日出てくるようになった。どうやら大親友ができたらしかった。それがAさんの息子さんだった。
そのうち、その子のところに遊びに行くということになり、初めてAさん宅に電話した。息子は、その子の名前を正しく発音できず、たとえば「よしきくん」が「よきしくん」のように一部ひっくり返っていたので、電話で
「仲良しなのに、名前もうまく言えなくて、よきしくん(仮名)になっちゃうんですよ。」と言ったら、Aさんは
「うちの子、よくそう呼ばれるんです。」と言った。
そのとき、なんということもないが、Aさんて、懐の深い、おおらかな人だなぁ、という印象を持った。そのときの印象は今も変わらない。

あのころ3歳だった息子たちも、今は大学受験生。
私たちは、①10代、②男子、③受験生、という三拍子そろった難しい家族についての非公開コメントの応酬で、4時間もパスタ屋さんに居座ってしまった。
ランチタイムサービスのパスタと160円のサービスコーヒーだけで、パスタ屋さんもさぞ迷惑だったことだろう。
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by pataponm | 2008-11-23 15:27  

母の遺したもの  セーター

母は、絵画、彫刻、織物、人形作り、いろいろなことを手がけて来たが、これとは別に編み物と洋裁は、料理や掃除と同じレベルの日常の営みとして続けていた。特に編み物は、体力がなくなって料理も洋裁もできなくなってからも、それこそ死ぬまでやっていた。亡くなったときにもアトリエの机の脇に紙袋に入った編みかけのセーターがあり、編み棒ごと棺に納めたくらいだ。
私の記憶にある母の膝には、いつも編み物があった。そうやって家族全員のセーターを、いったい何百着編んだことだろう。私は物心ついてから大人になるまで、母の編んだセーターを、ありがたいとも思わず、当たり前のように着ていた。

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◎ざっくり編んだ厚手のカーディガンをいくつも編んだ。ともかく、やるとなったら最高級の道具と材料を使う母、一着分3万円くらいする毛糸を使っていた(貧乏で、新聞をやめたりお茶を飲むのをやめたりしていたのに・・・)。このカーディガンも上質の素材だ。それなのに私は、「厚手のカーディガンなんて、外に着て行く機会もないし・・・」と思いながら、タンスの肥やしにしていた。

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◎ラメ入りのモヘアで編んだセーター。簡単そうだがブロックごとに編み目の方向が変わる、とても複雑な編み方らしい。これは色が素晴らしい。それなのに私は、「モヘアは太って見える」と思ってあまり着なかった。実家に帰るときだけ一応着ていくと、「そのセーター、いいねえ、私が死んだら形見になるね。」と、自画自賛していた。そのころの母はまだぴんぴんしていたので、聞き流していたが、本当に形見になってしまった。

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◎編み込み模様のセーター。これは本当の形見だ。病気で外出もあまり出来なくなっていたくらいのときに、よくこんな複雑な模様を根を詰めて編んだものだと思う。せっかく編んでくれたのに袖が短いと文句を言ったら編み足してくれた。ところが、少し認知症の気が出ていたころで、どうしても模様編みができなくなってしまい、何度も何度もほどいてやり直したらしい。叔母(母の妹)から聞いた話だが、母が電話して来て「どうしてなのかしら、どうしても編めないの。」と言うので、叔母が「編み込みなんてやめて、ゴム編みで伸ばせばいいじゃない。」とアドバイスしたそうだ。編み伸ばした部分はゴム編みになっている。デザインのバランスを保つために裾にもゴム編みを足している。「セーター、やっとやっとやっとできました。」という手紙を添えて郵送して来たのは、亡くなる2ケ月前だった。あの手紙は、今でも辛くて読み返すことができない。
それなのに・・・、やはり着る機会がなく、一度しか着ていない・・・。

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◎私が中学か高校のころに編んでくれたセーター。タートルネックのセーターのことを「とっくりセーター」と言っていた時代だった。イギリスのフィッシャーマンセーターの図案を模した模様編みだ。フィッシャーマンセーターは、海の男が何十年も着て息子の代に譲ったりしたらしい。潮風をたっぷり吸って、編み目も固まり、風も通さないしっかりしたセーターになったようだ。このセーターも何十年もの年月を経ている。
そういえば、このセーターは本当によく着た。今は、厚手のセーターを着る人がほとんどいない。どうしてなのだろう。子供たちは真冬もトレーナーで過ごし、セーターやカーディガンをほとんど着たことがない。今は建物の中や電車の中まで暖房完備で、脱ぎ着の不便なセーターは着なくなっているのだろうか。

私が母の遺したセーターを着ないのは、時代のせいだったのだ。そう思うと少し気が楽になる。
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by pataponm | 2008-11-20 16:26 | 母の遺したもの  

近所の紅葉

今年の秋は音楽関係の練習や本場で忙し過ぎて、遠出してゆっくり紅葉見物を楽しむ機会を失ってしまった。tamaちゃんのブログでニューヨークのセントラルパークの素晴らしい紅葉をうっとり眺めてため息をつくだけで今年の秋は終わってしまいそう・・・。
でも、「里の秋」は今が盛りだ。気分を変えて、今日はカメラを手に買い物に出かけた。
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◎近くの公園。セントラルパークの何万分の一の広さだろうが、息子がよちよち歩きのころはよく通い、娘はここで自転車に乗れるようになった。

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◎公園の道路際の桜。満開のころの桜は美しく、道路にはみ出した枝が遠くから霞のように見えて地元の名所だったのに、数年前、道路の線に沿って無残にも枝を切り落とされてしまった。誰が決定したことなのか。道に桜の花びらが落ちて、誰が迷惑するというのか・・・?

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◎よく行くスーパマーケットの道路を隔てた向かいには、田んぼもあるし・・・

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◎畑もある。

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◎市が管理している保護林。

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◎自転車を降りて林の中に入ってみると、沈みかけた日が斜めにさしてきれいだった。犬の散歩をしている人を見かけるが、30歩もあるけば通り抜けてしまうささやかな林だ。
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by pataponm | 2008-11-16 10:57  

裏のKさん

裏のKさんのお宅には、我が家と同年輩の子供が3人いる。娘が小学生のころは、うちの2人の子供と、別のもう1軒の3人の子供たちも加わり、今どき珍しいギャング集団を形成していた。
いただき物などすると、「裏のKさんから。」といって食卓に出したりしていたが、あるとき、Kさん宅でもうちのことを「裏のSさん」と呼んでいることが分かった。「へぇ~、そうか、うちも裏か。」と思った。確かに、Kさんから見ればうちは「裏」だ。へぇ~、と思ったのは、無意識に「うちは表のSさん」とでも思っていたのだろうか。これって、自分中心の中華思想かしら、とちょっと考え込んでしまった。
日本語には、「裏」のつく言葉が多い。裏金、裏口入学、裏目に出る・・・と、あまりいい意味でない言葉もあるが、布の裏地、裏声、裏技など普通に裏の付く言葉も多い。
でもやはり、「裏」という言葉には、わたしは表、あんたは裏、的な傲慢な空気が漂うような気がする。
昔は「表日本」「裏日本」と学校で習い、天気予報でも「裏日本の天気は・・・」などと言っていたのが、いつのころからか「太平洋側」「日本海側」と言われるようになったのは、その辺りのニュアンスを考慮したからではないか。
「地球の裏側」という言葉も「裏日本」的空気を感じる。地球の裏側に住んでいる人は日本語を理解する人が少ないのでクレームもつかないのだろうが。
では、英語では何と言うのだろう。「地球の裏側」は、the other side of the globe だ。正しい。視点が公正だ。「裏」も、reverse という言葉で表されることが多いようで、これは上下、左右、裏表を「入れ替える」という意味だから、二つの物の立場が公平だ。
「裏金」「裏口入学」は、英語ではそれぞれ「秘密の金」「不正なルートを買う」という表現をされるようで、他の「裏」の付く日本語を和英辞典で引いてみても、それぞれの(裏という言葉を使わない)言い回しがある。「裏」という一つの言葉にさまざまな意味合いを含ませるというのは、日本語独自のもののようだ。
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by pataponm | 2008-11-12 11:57 | 英語  

小学校での演奏会

隣町の小学校からカルテット・ラ・メールに演奏の依頼があり、昨日がその本番だった。
その小学校のPTAには、「成人教育委員会」というものがあり、児童の親たちの生涯学習を手助けするものとして活動している。昨年、「弦楽四重奏の生演奏を聞こう」という企画で呼ばれて演奏した。他に、救命活動の講習やエアロビのエクササイズ、著名人の講演など、いろいろな企画があるらしい。
昨年の演奏が好評で、今年もまた声を掛けていただいた。去年と曲がダブらないように選曲し、モーツアルトのディベルティメント、ハイドンの皇帝2楽章、ボロディンの弦楽四重奏よりノクターンの他、タイタニック、誰も寝てはならぬ、篤姫などの小品12曲ほどを演奏した。
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◎演奏は図書室。演奏中にチャイムの音が入ってときどき不思議なアンサンブルになったりするのもご愛嬌? 児童のお母さん方3~40人ほどが集まって聞いてくれた。写真は、演奏会場の隣りの、低学年用図書室。「寝転がって本が読めるように」畳が敷いてあって、ここでドレスに着替えた。J さんは製作中だったピンクのドレスが仕上がって、初お披露目だった。
「弦楽器を実際に見るのは初めて」という方も結構いて、興味深く聞いていただけたように思う。昨年の演奏のときは、主催者の方が出席者にアンケートをとり、後でコピーを送ってくださった。「贅沢な時間を過ごせました」、「涙が出そうになりました」など、感動したとの言葉が書かれてあり、嬉しかった。ビオラは、どんな音がするのか知らない方も多いようで、「ビオラの音色に胸がかきむしられるようなせつない気持ちになり・・・」と書いてくださった方があって、感激だった。

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◎演奏後は、近くのイタリア料理店で4人でランチ。

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◎ハーフセットというのを頼んだら、ハーフピザとハーフパスタというのが来たが、どう見てもそれぞれが一人前だ。これにサラダとデザート、ドリンクが付いて1490円だった。

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◎デザートのパフェのボリュームも、半端じゃない。皆が同じセットを注文したのに、全員違うパスタやデザートを頼んだので、テーブルの上は大変な賑わいになった。お腹もいっぱい。

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◎レストランの駐車場で。停めてあった車の窓にけやきの落ち葉がいっぱい降り落ちていた。Rさんが運転席側のドアに回って声を上げたので行ってみたら、ドアの窓に突き刺さるように小さな葉っぱが停まっていた。なかなか器用な風の仕業・・・。
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by pataponm | 2008-11-11 16:45 | 音楽  

ペレンデール鎌倉

羊毛仲間(あるときは音楽仲間)のMちゃんと、娘と3人で、羊毛を専門に扱っているお店「ペレンデール鎌倉」に行った。
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◎「ペレンデール鎌倉」の入口。鎌倉から江ノ電で2駅の由比ガ浜から徒歩2分、閑静な住宅街にある。電話したら「とても分かりにくいところにあるのでお電話いただければお迎えに行きます。」と言ってくださったが、HPにあった案内がとても分かりやすく、迷わず行けた。

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◎お店の内部を、お願いして撮らせていただいた。紡ぐ前の染色原毛が、所狭しと積み上げられている。ペレンデールさんの染色は優しい色合いで、色の名前も「うすべに」「とりのこ」「あわふじ」「なでしこ」「のあざみ」「さくらねず」「しろがね」「おみなえし」「みやますみれ」・・・まるで源氏物語でも読んでいるみたい、棚をうっとり眺めているだけで幸せな気分になる。「地震が来ても、ふあ~っと虹の雲みたいな羊毛が降って来て気持ちいいかも。」などと言って笑った。
ネット販売でいつも売っていただいているが、50g以上でなければ注文できない。お店に行けば、好きな分量を自分で量って売っていただける。犬や猫にはならないかも知れない色も、美しさの魅力に負けていくつか買う。

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◎私とMちゃんがふわふわ羊毛に夢中になっている間、近所を散歩していた娘が、ランチに良さそうな店をいくつか物色してきた。その中から「オーシャンズ キッチン」というレストランに入る。

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◎鎌倉産釜揚げしらすご飯1050円。ライスはバター醤油味だった。なかなか美味しい。うちでもやってみよう。

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◎サラダとデザート付き。今日のデザートは、アールグレイのアイスクリーム。

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◎海の方へ歩いてみると、古い洋館があった。門の脇の案内板によると、某製糸会社社長の邸宅だったものを旅館に改装したそうだ。

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◎もう海が見えるというところまで来ると、サーフボードが10本以上も立てかけてあるマンションがあった。ここに住んだからサーファーになったのか、それともサーファーたちが最高の立地のこのマンションに集まってきたのか。

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◎マンションの目の前が海。寒いのにサーフィンをしている人が何人かいた。サーフィンに季節はないのだろうか。

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◎海なし県の埼玉から来ると、徒歩圏内に海がある暮らしは異国のようだ。「楽器をやる人は(潮風で傷むから)住めないよねぇ。」と話しながら歩いた。

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◎江ノ電で鎌倉まで戻る。かわいい車輛。来たときに乗った車両は、おとぎ列車みたいでもっとかわいかった。

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◎小町通りを、店を眺めながらぶらぶら歩く。鎌倉遠足の中学生でラッシュ時の駅のホームのような混雑。
ソフトクリームや大判焼きを食べながら歩いている生徒が多い。道を歩いている人の数は多いけど、ほとんどが中学生なのだから、お店にお金は落ちないだろうなぁ・・・と思う。
来年から中学校教員になる娘(昨年から臨採教員として勤務はしている)は、「(埼玉の子より)スカートが短い。」と、気になる様子。
ここにも、旧洋館を改装したような店があった。クリスマスオーナメントなどを扱う店だった。

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◎カフェでコーヒーを飲み、定番の「鳩サブレー」を買って帰路へ。JR鎌倉駅のホームから江ノ電の駅舎が見える。「ちいさいおうち」みたい。なにかと江ノ電はかわいい(名前もかわいい)。
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by pataponm | 2008-11-08 15:45 | 羊毛ドッグ・クラフト  

難解電子辞書

初めて使った電子辞書は、ディスプレイに電光掲示板のような文字が一行分しか表示されない原始的なものだった。収容文字数が限られているのか、訳語は1~2行しか表示されない。しかも、英和と和英と国語辞典の三種しか収納されていなかった。英和はずいぶん活用したが、いったいどこの辞書が搭載されていたのだろう、難解な和訳が出てきて悩まされた。
あまりに意味不明なので腹が立ち、難解語が出てくるたびにノートにメモするようになった。

foundling---拾い子    headstall---おもがい   clapboard---下見板
tyke---やくざ犬      resolve---堅忍不抜   pace---側対歩で歩く   
hump---隆肉   euphoria---多幸症   pantheism---汎神論   
hamstring---ひかがみの腱

右も左も意味がわからない。私は誰? ドコノクニノヒト? 
仕方がないから、「隆肉」や「多幸症」を同じ電子辞書の国語辞典で引くと、これが載ってない。意味分からん語訳載せて、国語辞典に説明もないなんて、責任取ってよ、と言いたい。
また、trifle が分からないから引くと「トライフル」、cybernestics が分からないから引くと「サイバネスティックス」と出る語もあって、「ヨミを聞いてるんじゃない、イミを聞いてるんだよ!」と、息子の言葉を借りれば「ブチ切れそうになった。」

いろいろな辞書で調べると、上の語の中で「多幸症」というのは、自分を現実以上に幸福だと信じ、常にハイになっている精神的疾患のことをいい、「汎神論」というのは、万物は神とする宗教観をいう専門用語だということが分かった。「おもがい」は馬具の一種、「下見板」は家の外部を覆う横板のこと、「堅忍不抜」はたえ忍んで心を動かさない意味の四字熟語、「側対歩」は馬術の歩き方の一種・・・、ちゃんとそれぞれに意味があり、私の国語力不足も少しは原因していることは認める。しかし、「拾い子」「やくざ犬」「隆肉」って・・・???
今使っている電子辞書で引くと、それぞれ「捨て子」「のら犬」「こぶ」と出ている。それでいいじゃないか、何のためのわざわざ難しい訳語を? 字数節約にもならないし。

一つ「拾い子」で悩んだおかげで覚えたのは、英語には「捨て子」には「foudling」と「deserted child」の二つの言い方があるということだ。見出された子と、見捨てられた子・・・。
日本語にも「拾い子(ひろいご)」という言葉があった。生まれた子が次々と死んだりした場合、一度捨てて他人に拾ってもらってそれを改めてもらって育てた、という風習が昔あったらしい。
これも私の知識不足。しかし、「やくざ犬」と「隆肉」は、断じて日本語の辞書にはない。

極めつけは「ひかがみの腱」だ。「ひかがみ」をその「難解電子辞書の」国語辞書で引いたら「うつあし。よぼろ。よぼろくぼ」と出た。ブチ切れた。
大きな国語辞典で調べると、「ひかがみ」とは、「膝のうしろのくぼんでいる所」で、その脇のすじを「ひかがみの腱」というらしい。あんな所に固有名詞があったなんて、知らなかった。
これも、私の国語力不足だろう。でも、「ひかがみ」が体のどこを指すのか、知っている日本人は大変少ないのではないかと思う。英語には「hamstring」という言葉があるのだ。

では、肘の裏のくぼんだところには、名前はあるのだろうか・・・?
足首にあるこぶ状のものには「くるぶし」と名前が付いているのに、手首の似たような所には(多分)名前がない。だから、ひかがみ、またはよぼろ、よぼろくぼに相当する腕の部分には、英語でも日本語でも名前はついていないだろう・・・、と私は思うのだが、どうだろう。

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by pataponm | 2008-11-05 11:34 | 英語