<   2011年 03月 ( 9 )   > この月の画像一覧

 

震災当日の浜離宮

3月11日、東北関東大震災の起きた日の午前、浜離宮で遊んでいた。遥か遠い昔のことのようにも思えるあの日の写真を改めて見ると、春の息吹が確かに感じられる。その後、被災地をいじめるような寒気が日本列島に流れ込み、原発事故のことなどもあって、春を探す、などというのどかな気分を忘れてしまっていた。

その日の午前10時、両国の水上バス発着場から乗船して出発。船室に案内されたが窓越しに景色を眺める気は最初からなく、風が冷たいけれど迷わず甲板へ。

◎水上バスは隅田川に渡されたいくつもの橋の下をくぐって行く。橋、低くない? 通ってみれば頭上に余裕はあると分かるのだが、橋の下に来るたびに「ひゃ~」と思わず首をすくめてしまう。
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◎読売新聞社。トンネル状に穴のあいた社屋、斬新な設計と思ったが、日照権問題であのような形になったのだそうだ。
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◎大都会の真ん中を船に乗って通り抜ける。4時間後に震災に見舞われるとも知らず、気分は爽快。
「もし、このとき地震にあっていたら・・・。」1枚1枚写真を見ながら、ついシミュレーションしてしまう。
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◎近代的なビル群の中に突如現れた昔ながらの街並み。佃島だ。
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◎聖路加病院のオフィス棟。てっぺん近くにある二つの棟の連絡通路が特徴的。地震を経験した今となっては、ぜったいに渡りたくない通路です。
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◎勝鬨橋。
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◎約30分のクルーズで浜離宮恩賜庭園の水上バス発着場に到着。両国だけでなく、浅草、お台場などから来る便もあるらしい。
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◎将軍お上がり場。江戸時代、将軍がここから浜御殿に上陸したという。
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◎梅の花はほぼ満開、いい香りを放っていた。
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◎息を飲むほど素晴らしい菜の花畑。遠くに見える赤いつぶつぶは幼稚園児の帽子の群れだ。菜の花に子供たちの体が半分埋まっている。菜の花の匂いは、なばなを茹でたときの匂い。むせかえりそう。
遠くに見えるのは龍舌蘭の葉。100年に一度大輪の花をいくつも咲かせるという。龍舌蘭はテキーラの材料としても知られる。
秋にはこのお花畑はコスモスでいっぱいになるそうだ。
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◎潮入の池に渡された「お伝い橋」。この池は海水を引き入れ、東京湾の水位の上下に従って水門を開閉して池の水を調節している。
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◎池中央にある「中島の御茶屋」。将軍や公家たちがここで庭園の眺望を楽しんだ。今は抹茶や和菓子を味わうことができる。
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◎あちこちに大木がある。タブの木というそうだ。江戸時代からあるのかと思ったら、当時は庭園として梅、松、楓、桜しかなかったのだが、明治以降自然と他の木が増えていったのだという。
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◎富士見山と呼ばれる小高い丘がある。頂上から。今通って来た潮入の池のお伝い橋や茶屋が見える。
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◎鴨場。小さな穴からこっそり池を覗き、獲物の鴨を見定めるのに使われた。
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◎これも同じ用途のものか。この裏に引堀といわれる水路がある。
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◎よく馴らしたおとりのアヒルを使ってこの水路に鴨を追い込み、水門を閉める。そして網などを使って鴨を捕まえたそうだ。
現在は、捕まえて喰われる心配のない鴨たちが池で悠々と泳いでいるのだが、獲物となった鴨の霊を慰めるための鴨塚が昭和になって建てられた。
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◎猫がいた。きれいな色の品のある猫。とても人に慣れていてすぐ寄って来た。誰かが餌を与えているのだろうか。
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◎三百年の松。近づいて幹はどこかとよくよく探したが見つからない。あるのは枝のつっかい棒だけ。
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◎横に回って分かった。これは1本の松で、巨大な幹が土手の上にあったのだ。約三百年前に六代将軍家宣が庭園を大改修したときに記念に植えたという。
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◎おたのしみのランチは、浜離宮からもよく見えた高層ビル「カレッタ汐留」47階にあるスカイレストランで和風弁当。
さわら木の芽焼き、穴子小袖ずし、蓮麩田楽、海老芋の煮物、菜の花お浸し等々、上品な料理が少しずつ、ご飯は桜エビの炊き込みご飯。
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◎窓からは素晴らしい眺望が楽しめる。お台場。
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◎築地市場。半年ほど前に、市場に勤めている友人の甥御さんの案内で場内、場外を見物し、おいしいお寿司を食べてたくさん買い物をした。
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◎浜離宮が目の下に見える。どこを歩いたか、指でなぞれるよう。
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◎スカイツリー。震災の5日後に、ひっそりと完成時の高さ634mに達した。あの、余震の頻発する中、地上600mで作業を続けていたのかと驚いた。
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私は一足先に店を出て、2時42分に47階と46階の間のガラス張りの広い踊り場で上の写真を撮っている。
友人たちが店の出口で「あれ? Mさんは?」と言っているのが聞こえて、それから「あ、やっぱりあそこで写真撮ってた」などと言いながら降りて来て、皆で46階のエレベーターに乗った。エレベーターの中には階を示すボタンがなく、「1階直通じゃない?」と1つしかないボタンを押したらなぜか47階に戻ってしまった。また押すと今度は46階で止まる。やっとこのエレベーターは二つの階を行き来するだけのものと気づいて、下まで行くエレベーターを探して乗ろうとしたらAさんが「ちょっとこのレストランのメニューが気になる」と寄り道しそうになるのを「いいからいいから」と促して総ガラス張り(天井の一部も)で大眺望、日本最高クラスというシースルーエレベーターに乗り、高速33秒で地上200mから一気に下降して気持ち悪くなりながら1階に着く。ビルの外に出て解散することになり、それぞれの帰路に大江戸線がいいか山の手線がいいかと話し合っている最中に、ぐらぐらっと地震が来た。
くどくどと書いたが、この間わずか4分。47階でスカイツリーの写真を撮ってから地上に下りて地震にあうまで、たったの4分間だったのだ。このことを思い返すたび、「47階にいなくてよかった、エレベーターの中にいなくてよかった」と、その後何度も何度も繰り返し胸をなでおろしているのです。
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by pataponm | 2011-03-25 20:36 | 東日本大震災  

羊毛ドッグ 「ミニマムドッグ」

福島、茨木、栃木、群馬各県産のほうれん草とかき菜が、基準値を超える放射性物質が検出されたことから出荷停止となった。しかし、実際に検出されたのは各県の一部の地域にすぎない。地域を対象にした出荷停止の措置ができないため、県単位の停止になったという。
私の住む埼玉県は、茨木、栃木、群馬と県境を接している。群馬県でただ一つ放射性物質が検出した地域は南部で、出荷停止になった群馬北部よりはるかに埼玉県に近い。それなのに、埼玉県産ほうれん草は「安全」なのだ。
県全体を対象にした措置のため、基準値を下回っているにも関わらず出荷停止になった農家が気の毒だと思うと同時に、埼玉県産ももしかしたら汚染されているかも、という不安はぬぐいきれない。
でも、「今の数値なら、洗えば大丈夫」という tama ちゃんブログを信じて、埼玉県のおいしい露地物のほうれん草を今日も食べようと思う。

震災後、いくつもの個人的な集まり、音楽の練習や本番が次々とキャンセルになって、家にいる時間が長くなった。羊毛に触れて、さまざまな情報に接して不安になる気持ちを落ち着かせている。

◎身長6㎝の羊毛ドッグ。「ミニマムドッグ」と名付ける。左:ジャーマンシェパード 右:バーニーズマウンテンドッグ
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by pataponm | 2011-03-22 11:10 | 羊毛ドッグ・クラフト  

やる気まんまんのマロン

今日、明日の計画停電は中止になった。
今日もまた開店と同時にスーパーに行ったが物は少ない。米はなく、牛乳は個数制限でやっと1本買えた。
ガソリンはやはり入手できない。実家の父に何かあったら・・・、と思うとちょっと不安。

◎震災3日前の8日に実家に行った。梅が咲き始めていていい匂いを漂わせていた。
地震後電話したら、「ゆらゆらきて、これは大きいなと思ったけど大した揺れじゃなかったよ」と言っていた。電池やろうそくが買えなくなってるよ、と言うと「欲しいの? 送ろうか?」だって。そっちだってないんですよ!空襲で家を焼かれ、焼け野原の東京本郷で行き抜いた人間は強い。
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◎母の部屋で手染め手紡ぎの毛糸を大量に見つけた。いくつかの毛糸玉が入ったビニール袋がプラスチックの箱にぎっしり、それが2箱。母は生前織物をやっていたのだが、糸から手作りという凝りようだったのだ。
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◎いつでもやる気まんまんのマロン。「ぼくがんばる、ぼくがんばる」とぐいぐい歩く。
地震にも全く動じることなく、普段通り過ごしているそうだ。
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by pataponm | 2011-03-19 21:29 | 東日本大震災  

癒しの乙女

今日もスーパーが、停電時間に合わせて11時で閉店するというので、開店と同時に行って来た。
相変わらず米やトイレットペーパーの棚はカラ。「買い占めるな。」と言われても、家に一つもなくなった人はやはり困るだろう。
昨年末北京に行って知ったのたが、中国の人はトイレで使った紙を流さず、バケツに捨てる。蓋もないバケツで中は見えるし臭うし、ちょっとびっくりしたのだが、いざとなったらこちらもその方法で、新聞紙でも週刊誌のページを破ってでも利用すればいいということだ。
米やパンがなくなれば、粉から作ればいいと思って小麦粉の売り場に行ったら、考えることは皆同じ、値段の高い500g入りのしか残っていなかった。

災害時の日本人の秩序ある行動と互いを思いやる気持ちは、世界の人々を驚かせ感動させているらしい。アメリカでは「何故日本では暴動、略奪が起きないのか」というディスカッションまで開かれたという。
友人がミクシィで、元気の出るつぶやき集を紹介していた。
配られた毛布の数が足りず困っていたお年寄りに自分の毛布を差し出した人、薬局であるだけのホッカイロを買ってバスを待つ列に配った人・・・、若い人たちがツイッターに綴り「日本は凄い国だ。素直に感動した」と書いている。

◎癒しの乙女。人間みたいな寝姿でリラックスしている。
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◎人間の赤ちゃんみたいな姿勢でだっこされて。からす足袋のような足の裏が乙女ちゃんのトレードマークだ。
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 ※福島の原発事故について、専門家の tama ちゃんが自身のブログで発信を続けている。間違いの多い報道を指摘し、私たちの本当に知りたいことを教えてくれて余計な不安を取り除いてくれる。
冷静な判断で書かれていてとても参考になります。今後も局面が変わる都度、tama ちゃんのブログを参考に行動しようと思う。
  風のたより
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by pataponm | 2011-03-17 11:21 | 東日本大震災  

想像を絶する

「想像を絶する」という言葉を震災の報道の中で何度も耳にする。言葉にしてしまえば一言だが、人間の想像力で考え出し得る事態を遥かに上回る凄惨な状況が今東日本一帯に繰り広げられている。

津波に呑みこまれて「壊滅」した町の様子、膨大な犠牲者の数、原発の恐怖・・・、驚きを通り越して心が虚ろになってしまう。何をする気にもならない。週末に予定されたコンサートの練習をしなければならないのに楽器を手にする気にならない。本を開いても活字が頭に入らない。何をするにも「こんなときに」という気分になってしまう。
必要な家事と、サバイバルのための買い出し、分かりにくい原発の解説報道や、はっきりしない交通情報、計画停電情報をテレビにくぎ付けになって見る、そんなことで時間が過ぎて行く。
被災地の様子は、遠景からぐっと現場に近づき、個々の被災者の方々の悲痛な声なども報道され始めている。テレビの前から離れて台所に立ったりするとき、体が少し震えているのを感じる。
私に何かできることがあるのだろうか。家族も親戚も、周りの友人たちも皆無事で住む家も失わなかったことへの感謝の気持ちを何かの形で表さねばならないだろう。
昨年の2月に福島県の南相馬市に演奏旅行に行った。ちょうどチリの地震の影響で津波警報が発令されて常磐線が不通になり、帰りの足を奪われた。結局津波は事なきを得、迂回して帰宅することができたが、今回の津波被害で町は壊滅状態となっている。テレビで映像が流されると、私たちの泊まったホテルは・・・と、目を凝らして見入ってしまう。コンサートを行った会場は避難場所になっているようだ。指揮者の矢澤先生から支援協力のメールが来た。ささやかながら協力ができたら、と思う。

こんなときに、石原都知事の「大震災は天罰」発言には本当に怒りを覚えた。
「我欲に縛られた日本の政治を津波で洗い流す必要がある。これは天罰だ」と言ったあと、報道陣に指摘されると「被災地の方々はかわいそうですよ」と言い繕ったらしいが、真っ先に人の命というものに思いが到らないなんて、人の心を持っていないのではないかと思ってしまう。
「生殖能力を失った女性は存在価値がない」発言といい「歌舞伎座は銭湯みたいで嫌だ」発言といい、思い出すたびに怒りが蘇えってくるような発言を、この人はする。

◎タビィだけは、いつもとおんなじ生活を営んでいる。寝床から出て来て思い切り伸びをしたり、庭の鳥を狙ったり、被災地の写真が掲載された新聞の上で丸くなって居眠りしたり・・・。
そんなタビィを見ていると、ほぉ~~っと緊張がほぐれ、思わず抱きしめて頬ずりをしてしまう。限りなく癒される。
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by pataponm | 2011-03-15 10:12 | 東日本大震災  

計画停電

昨日から関東地方に計画停電が実施された。昨日は結果的に実施されなかったものの、首都圏の電車がストップしたため大混乱、夫は出勤できず自宅待機となった。

私の住むA市は5つあるグループの3つに重複して入っていて、結局いつ、何時間停電するのか分からない。今朝計画停電が実施されたらしいことを、テレビの「A市上空より」の映像を見て知った。なぜか我が家周辺は停電していないが、映像を見ると、大きな交差点の信号が停電しているのに交通整理の巡査も立たず、右折する車や左折する車が交差点中央で右往左往する隙をみて中学生らしい子供たちが走って横断歩道を渡っていた。事故が起こらないことを祈る。

昨日は、夫が町中自転車で走り回って灯油を確保して来たが、ガソリンスタンドは売り切れ閉鎖となっていた。
私は開店30分後にスーパーに行ったら、米、パン、カップ麺、単1乾電池、ろうそく、トイレットペーパー、ティッシュ等々、サバイバル物資がすべて売り切れ。野菜も持ちのいいじゃがいもなどが売れ切れていた。しかも開店1時間後には閉店してしまった。牛乳や卵、野菜が買えただけでもよかった。明日から、食料などの物資が不足するのか回復するのか、全く不明。だから人は買いだめに走り、余計に物がなくなるのではないか。

◎ろうそくが手に入らないので、屋根裏をひっかき回してクリスマスのろうそくを出して来た。キリスト生誕の絵が描かれたろうそくや、炎の熱でくるくる回るオーナメントなど、なんだかのどかな雰囲気・・・? ライトは、単1乾電池が手に入らないのでつかない。
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by pataponm | 2011-03-15 09:28 | 東日本大震災  

水上バスツアー 転じて帰宅難民

3月11日に東日本を襲った大地震、みなさまはご無事だったでしょうか。
私は、友人4人と「隅田川水上バスと浜離宮散策、地上47階眺望レストランでのランチ」の楽しいツアー・・・だったはずが地震に遭遇、夜明かし、帰宅難民という苦難の経験をすることになった。

◎気持ちのいい水上バス。訓練中のボートの学生と手を振り合った。スカイツリーが間近に見える。
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◎浜離宮庭園。菜の花畑が素晴らしかった。
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◎眺望レストランからお台場を見る。この数時間後、フジテレビの近くのビルから火の手が上がった。
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◎東京タワーもすぐそこに。約1時間後、地震の揺れで先端が曲がることになる。
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◎私たちが散策した浜離宮が、目の下にまるで絵地図のように見えることにはしゃいでいた。
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食後も話が尽きず、友人の一人が用があるというのでようやく腰を上げたのが2時半過ぎ、47階からエレベーターで下に降りて、それぞれが帰る路線を考えていたときに地震が起きた。
大きくゆっくりと横にスライドするような揺れ。4人が互いに支えあって倒れそうになるのをこらえていた。知らない人がすがりついて来た。

◎地震直後。地震が収まったあとも大きなビルが「みしっ、みしっ」と鳴っていた。体はいつまでも「船酔い」のように揺れている感じ。皆電光掲示板を見上げているが、コマーシャルばかり流していて情報が得られない。
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◎ビルを見上げると、窓ふき作業中のゴンドラが大きく揺れている。中にいた人は恐ろしかったろう。
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同じビルの1階にあるパン屋兼喫茶で3時間ほど様子をみる。携帯電話、メールは通じない。ときどき混乱の網目をくぐって通じることがあり、他の3人は家族や職場と連絡がとれたが私は友人の携帯を借りても通じなかった。
そのうち喫茶が5時半で閉まるので出てほしいと言われて(パン屋は閉店するが、ビル内には留まってもいいということだった)トイレに立ったらそこに公衆電話があり、人が通話している。もしやと思い家に電話すると通じて息子が出た。埼玉の家はコンポが落ちてCDが散乱したなどの被害があったが無事だった。市内は大規模な停電になっているが何故かうちは大丈夫ということだった。息子は父とも連絡をとってくれていて無事を確認することができた。

息子に夫の会社の電話番号を聞き(最近引っ越した事務所の場所を私は知らず、電話番号も携帯に登録していなかった)夫とも連絡がとれたので、パンやサラダを多めに買って友人たちと別れ、新橋で夫と落ち合うことができた。夫の会社は東京駅の近く。地震発生時にこんなに近くに私が居られた偶然が、本当にありがたかった。
不幸中の幸いとも言うべきラッキーな偶然がもうひとつ。今写真の撮影時間を見ると、ビルの47階から呑気にスカイツリーを撮っていた6分後に地震が起きている。あと5分地震が早ければ地上数十メートルのエレベーターの中で宙づりのまま閉じ込められていたわけだ。また、5分遅ければ4人は解散していて長い不安な時間を単独で過ごさなければならなかった。

夫と共に新橋から銀座を通って東京駅まで行く間、多くの人々が歩いていたが、皆不思議に落ち着いて混乱もなかった。
通りの飲食店などは通常通り営業していて、途中夕食を食べることもできた。

会社に到着、まずは寒空に路頭に迷う心配はなくなり、テレビを見て情報を得ることもできるようになった。恐ろしい津波の情報と映像が流されていて、どんなに巨大な地震だったかということを改めて知る。

新幹線が品川まで開通したというので夫と様子を見に行く。やはり思うように運行はしていないらしかった。

◎多くの人が駅の構内で待機している。
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テレビの情報では、JR の一部の駅が、深夜シャッターを下ろして避難していた人たちを締め出したという。東京駅でもそうだったのだろうか。だとしたら、あまりにも非人間的な行為と言わざるを得ない。駅前のブックセンターですら「終日営業します。 どうぞ避難場所としてご利用ください」と張り紙をして夜明かしする人を受け入れていたというのに。

また、私鉄各社や地下鉄は区間を区切ってでも運行できるところから動かしていたのに対し、JR は早い時期から「今日いっぱい運休」と決定していた。有事のとき、そういう姿勢ってどうなの、と言いたくなる。

◎バスを待つ人の大行列。
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翌朝、JR が動き始めたとの情報を得て7時過ぎ、会社を出る。
山手線が動いていないので銀座線で上野へ向かう。想像を絶する寿司詰め電車に乗れたはいいが、上野広小路駅で、前に電車が詰まっているため停車して動かなくなった。そこで降りて徒歩で上野駅へ。

◎上野駅は群衆の波で駅構内などとても入れる状態ではなかった。
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高崎線は諦め、地下鉄やJR を乗り継いで京浜東北線に乗る。路線をよく知っている夫のおかげで効率よく帰路をたどることができたが、間引きのろのろ運転の電車は息も詰まりそうな混み具合で、1時間半身動きもできなかった。途中、貧血のようになって吐き気をこらえながらの強行軍だった。

◎南浦和行きだった電車が途中から大宮行きに変更になったのはラッキー、電車から「吐き出される」という表現がぴったりの群衆が駅の階段を上って行く。
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大宮からは、高崎線に乗るのはやはり決死の覚悟がいるので、遊園地の乗り物みたいな私鉄モノレール、ニューシャトルに乗ってできるだけ自宅の近くまで行く。すいていて座れたのでほっとした。のどかな田園風景、別世界。最寄駅まで娘に車で迎えに来てもらって、会社を出てから5時間、ようやく自宅に到着することができた。
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by pataponm | 2011-03-13 14:21 | 東日本大震災  

北京旅行 -7- <2日目 昼食 飲茶料理>2010.12.27昼食

北京旅行の楽しみの半分は「食」が占める。昨夜はスーパーの総菜で夕食、今朝はホテルのバイキング、そしてお待ちかね、円卓囲んで中華料理店での昼食だ。

◎大型土産物店の奥にある料理屋だった。
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◎広東飲茶料理というので一人分ずつ蒸し器に入った焼売でも出てくるのかと思ったら、まずお粥が出た。
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◎焼売、餃子のような各種飲茶料理が大皿に盛って次々と。12人で卓を囲んたので写真を撮るそばから手が伸びて料理がなくなっていく。内心焦りながらシャッターを押す。
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◎続いて肉や野菜を使った中華料理がまた次々と。盛り付けがかなり大雑把だが味はいい。辛い料理は一つもない。そして意外なほど薄味。日本人はご飯片手に食べるせいか、日本で食べる中華料理は「おかず」として濃い味付けにしてあるような気がする。
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◎シメは炒飯。米は日本と同じような米だった。これもとても薄味。
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食事のあと、土産物店を少し見て歩いた。粗悪な置物や装飾品などが、どれも日本円で1000円以上。月収2万円で暮らす人もいれば1千万円を得る人もいる中国、物の値段も天から地まであるということか。

土産物店の中に、掛け軸に好きな字を書くという店があった。
以前テレビの旅番組で中国をやったとき、好きな詩などを筆で書いてくれる店を紹介していた。道端の間口の小さな店で老人が一人で書いているのだが、その達筆なことに驚いた。
もしそんな人に会えたら書いてもらってほしいと、夫から自作(!)の漢詩のメモを預かっていたので、その掛け軸屋に聞いてみると180元(2500円)だという。掛け軸は細長過ぎて夫の漢詩は書ききれないだろう。普通の紙でいいから20元くらいで書いてもらえないかと交渉したのだがダメだった。
諦めてその場を離れようとしたら、その漢詩、全部書く、大丈夫、字の数多いけど150元にする。と食い下がってきた(店員さん、達者な日本語を話す)。
小さな掛け軸に何十文字も書きこんだら美的じゃないし、だいたい何千円も払いたくないのできっぱりと断り、他の商品を見ていたら、しばらく遠巻きにしていた店員さん、また寄って来て「140元。140元でやる。」と言う。かなり強引。
しかし、これが中国式の商売だった。このあと連れて行かれた各種土産物店での売り込みに比べたら、この店の強引さはまだ序の口だったのだ。
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by pataponm | 2011-03-09 17:14 | 北京旅行  

モーツアルト レクイエム演奏会

b0134988_10323735.jpgヴィッラ・ディ・ムジカ室内管弦楽団が、川崎市宮前の市民合唱団からの依頼でモーツアルトのレクイエムを共演した。
会場 川崎市 宮前市民館大ホール 
指揮 河地良智
曲は、第一部がピアノ伴奏による合唱で「ふるさとの四季」と題する日本の歌メドレー
第二部はオーケストラのみでモーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
第三部がモーツアルト レクイエム K.626

モーツアルトのレクイエムは一度やってみたいと思っていた曲なので機会が得られて嬉しかった。合唱団は人数も多く力強い声量を持っているので、「怒りの日」と題する第2曲などはなかなかの迫力だった。

しかし、埼玉から川崎まで往復4時間半、交通費往復2400円×練習6回、雨が降ったり雪が降ったりの練習参加は大変でした・・・。後半3回の練習場所は、本番の行われた宮前市民館。田園都市線の「宮前平」という駅を降りて登山かと思うような急坂の道を楽器抱えてゼイゼイ登ること10分。「宮前平のたいらって、なに!」と憤る人に地元の人が「あれは、うそつき平と言われています」。

指揮者の河地先生とは、私が学生オケでコンミスをやっていたころにお世話になって以来O十年ぶりの再会だった。演奏旅行もご一緒した。その後、私の娘も学生オケ時代に一度河地先生の指揮で演奏している。
長年の実績を積まれた先生は、どこへ行っても「昔の知り合い」に遭遇するらしく、今回のオーケストラにも先生と関わりのあった人が多くて、初回練習のあと「先生、お久しぶりです」と声をかける人の行列ができた。私はそんな中でも最古の知り合いだったようだ。話しているうちに「そうだよ、だんだん思い出してきた」などとおっしゃり、当時の役員の学生の名前などが出てきてその記憶力に驚かされた。
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by pataponm | 2011-03-03 10:30 | 音楽