人気ブログランキング | 話題のタグを見る

母の遺したもの 母の味③

7月・8月 畑の作物 母は、実家に隣接した100坪の土地を地主さんから借りて畑にしていた。そこで採れた何十種類もの野菜も、母の味といえるだろう。
好奇心の塊のような母は、近所の農家の人からちょっと珍しい野菜の名前を聞くと、早速苗を分けてもらって植えていた。当時は八百屋にもなかったオクラの味を知ったのも母の畑からだし、現地特産の「のらぼう」という菜花に似た野菜も初めて食べた。
一つの作物の収穫時の量といったら半端ではない。出荷しているわけではないので、人に分けても余り、採れる時期には来る日も来る日もその野菜ばかりが食卓に上った。でも不思議と飽きた記憶がない。茹でたグリーンアスパラガスをサラダボールに山盛りよそり、マヨネーズを「ぐりぐり」と搾り出して食べたうまさは忘れられない。毎日学校から帰ると、おやつ代わりに食べた。あまりたくさん食べたので、兄が「しょんべんがアスパラガスの臭いになった。」と言っていた。(でも、これはほんとうのことなのだ!)
苺も、どんぶり一杯、砂糖をかけて潰して牛乳をどぼどぼと注いで毎日食べた。

きゅうりは、その日に採れたのがいつでもざる一杯、流しに置いてあった。母は、大量に漬物にして人に配っていたようだ。
一度塩漬けしたあと三杯酢に漬けたきゅうり漬けは、母の友人たちから「〇〇(母の名前)漬け」と呼ばれ、うちでもそのように呼ぶようになった。ぬか漬けにしたきゅうりも毎日2、3本食卓に出たが残らなかった。
ぬか漬けといえば、よく祖母の代からのぬか床を守る、なんて言うが、母は、毎年春になると全部のぬか床を新しくしていたようだ。
ところで、ぬか床は、どこの家庭にもあるのが当たり前と思っていたのだが、山形ではぬか漬けを食べる習慣がないということを結婚して初めて知った。義母に「ぬか漬けは食べないんですか?」と聞いたとき、「こっちでは、ざらめを使う。」などと話が食い違うので変だと思ったら、三五八漬けと勘違いしていたことが分かった。それだけ「ぬか漬け」という言葉に馴染みがなかったということだろう。

なすは、へたにトゲのある黒光りするようなのがやはり山のように採れた。
「みょうがとなすの卵とじ」が、それこそ祖母の代からの「うちの味」だ。たんざくに切ってアク出ししたなすを甘辛く煮て、その上に薄切りしたみょうがを重ねてさっと煮、卵でとじる。三つ葉を散らす。

これだけいろいろ畑で作っていても足りない野菜は、農家に買いに行った。
そして、少しでも難点があると「硬いわね。小さいうちに採るのがもったいなくて、いつまでも畑に置いとくから硬くなっちゃうのよ。」とか「これ古くない? せっかく生産者のところまで買いに来てるんだから、新鮮なの売ってよ。」など、ぽんぽん言う。
農家の主人が「だけんど、八百屋よりゃ、安いわな。」と言うと、間髪入れず、
「八百屋より高かったら、こんなとこまで買いに来やしないわよ。」と言い返す。
それでも、「さくい(気さくな)奥さん」などと言われて、嫌われることもなく、耕作の秘訣やいい苗の情報などを教えてもらっていた。

9月 カステラ 特に9月に作っていたというわけではないが、9月として特筆すべきものがなかったので、自家製カステラを。
料理好きな母だったが、お菓子作りには苦手意識があったのか、ケーキやクッキーはほとんど作らなかった。私が小さかったころによく作っていたが、温度設定もタイマーもない出始めのオーブンで、黒こげの失敗作ばかり焼いていたのがトラウマになったのだろうか。
それでも、カステラ作りはよくやった。木の枠を自分で作り、「長崎カステラ」と同じ味のカステラを作り、人にあげては喜ばれていた。

母の遺したもの 母の味③_b0134988_10431795.jpg
母の遺したもの 母の味③_b0134988_10432598.jpg
母の遺したもの 母の味③_b0134988_10433388.jpg
母の遺したもの 母の味③_b0134988_10434298.jpg
◎この写真は、母が山に行くたびに買って来たバッヂだ。ざっと50個はあるだろうか。母は、山歩きも趣味だった。
父が一緒に行ってくれないので、「中高年の山の会」に入り、日本中の山を歩いた。山小屋3泊の日本アルプス縦走なんていうのもやってのけた。
最高齢70歳代という山の会なのに本格的な山登りをするので、テレビ局の取材を受けて、「中高年ばんざい」みたいな番組として放映されたこともある。急な登山道を元気に歩いたり、おにぎりをほおばったり、心底嬉しそうな母の姿が映っていた。
バッヂに書かれた山の名を見ると「尾瀬、駒ケ岳、夜叉神峠、雲取山、丹沢、妙義山、茶臼岳、立山、赤城山、北岳、八ヶ岳連峰、剣岳、上高知、大山・・・」実にいろいろと登っていたことが分かる。バッヂを買わなかった山もあるだろうから、登った山は100近いかも知れない。でも、景色を眺めながら気分よく歩くのが目的で「有名な山制覇」という野心はなく、「山の会も、百名山を制覇したいって人が出てくるようになったのでつまらなくなった。」と言っていた。

by pataponm | 2009-01-14 10:44 | 母の遺したもの  

<< ミニミニセントラルパーク隣りで... 冬眠から覚めたチキン >>