震災救援コンサートにギトリスが飛び入り演奏
2011年 06月 08日
「東日本大震災救援コンサート」に、世界的なヴァイオリニストで、現役最高齢89歳のイヴリー・ギトリスが飛び入り演奏した。
ギトリスは、このコンサートでソロを弾いたヴァイオリニスト木野雅之さんの師匠で、もともと来日公演中だったのだが、コンサートツアーの合間を縫って駆けつけてくれたのだ。
5月末の新聞に広告が載っていた。震災の影響で来日演奏家の公演が次々と中止になったことに心を痛め「今すぐ日本のために来たい(3月13日)」「相次ぐ来日中止が悲しい・・・。この来日を機に皆に大丈夫だと伝えたい(4月29日)」というメッセージと共に6月1日に来日、宮城県内の避難所慰問を皮切りに渋谷、名古屋、最後に浜離宮朝日ホールでのコンサートという過密スケジュールだ。
私たちのコンサートは6月7日の夜。6日に名古屋公演を終えて、翌7日の午後新幹線で東京に着いたら「そのまま引っ張って来ますよ。いったんホテルに戻ると寝ちゃうから」と木野さんは冗談をおっしゃっていたが、果たして本当に来て下さるのだろうか、疲れているようだったら取り止めにする、ということだったし、なんといっても89歳のご高齢・・・、と思いながらも、ソリストのいないコンチェルトの伴奏の練習だけはしておいた。
プログラムにはもちろんギトリス出演のことは触れていない。
そして当日、本番30分前にギトリス先生は本当に来て下さった。
1部は客席で愛弟子の演奏を聴き、2部の最後で演奏する予定だったのだが木野さんのメンデルスゾーンを客席で聴きたいからということで、冒頭に木野さんと共にバッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲を演奏した。
音量は小さくやや張りがないが、紛れもないギトリスの艶やかな音。途中ちょっとおぼつかなくなり「まちがったか?」と大声で言うのでオーケストラも止まりそうになったが、笑いのうちに1楽章が終了、続いて2楽章、と思ったら「もういい、もういい」と弓でいやいやをしながら退場してしまった。
本領を発揮したのは、木野さんと平澤さんのメンデルスゾーンが終わってアンコールにステージに呼びだされてからだった。
「年寄りだから座って弾かせてもらうよ」と、そこらの椅子を勝手に引っ張って座ると、ピアノの平澤さん相手に、クライスラーの「愛の悲しみ」を弾き始めた。みなさんご存知のギトリス節、最初の数小節でピアノとかみ合わなくなると「年だから座る」と言っていたはずなのにすっくと立ち上がって平澤さんの顔の数㎝のところにヴァイオリンを寄せて弾き続けた。平澤さんはもう鍵盤や楽譜などは見ずにひたすらギトリスの指と弓だけを見て弾く。
テンポや楽譜の指示を無視したかのようなギトリスの音楽は賛否両論だが、日本人に「ぞっこん」の人が多く、またギトリスも大変な親日家だというが、なんだか分かるような気もする。日本の伝統的な民謡や歌謡曲にあるこぶしのようなものを感じるのだ。
2曲目の「美しきロスマリン」では、最後のピチカートの前に平澤さんをじらして弓を空中でくるくると回してみせてからお茶目に「ポン」と弦をはじいた。平澤さんが見事に合わせるとやんやの大喝采。一度ステージを下がったが何度も呼び戻されて、もう1曲、パラディスの「シチリアーノ」を弾いた。
元N響団員でエッセイストの鶴我裕子さんはギトリスの大ファンで、自著の「バイオリニストは目が赤い」の中でこんなことを書いている。「ギトリスの演奏は、だんだんよくなる法華の太鼓で、コンサートの1部より2部、2部よりアンコールがいい。アンコールを聴かずに帰る人は損をする(手元に本がないので記憶で書いています)」
私たちはまさに、本番より素晴らしいアンコールが聴けた、ということだ。
◎終演後、楽屋でサインをしていただく。カメラを持って行くのを忘れて残念だったが、オーケストラ団員のTさんが、私がサインをいただいているときの写真を撮ってくださった!
ビオラのケースには既に二人のサインが。「これはだれの名前?」と聞かれ、アルバン・ベルク・カルテットのエルベン氏とシュルツ氏のだと言うと、「こんなヒゲで、こんな体(太った)のね」とジェスチャー付きでおっしゃった。驚くほど気さくな方だった。
ツアーの途中で駆け付けて、さぞお疲れだろうと思ったが、その後のレセプションも出席して最後まで飲んだり喋ったりされていたそうだ。
◎ギトリスのサイン。よく見るとヴァイオリンの形をしている。
10年ほど前にカルテットのレッスンを受けたときに書いていただいたABQのサインに加えてまた宝物が増えた。
ギトリスは、このコンサートでソロを弾いたヴァイオリニスト木野雅之さんの師匠で、もともと来日公演中だったのだが、コンサートツアーの合間を縫って駆けつけてくれたのだ。
5月末の新聞に広告が載っていた。震災の影響で来日演奏家の公演が次々と中止になったことに心を痛め「今すぐ日本のために来たい(3月13日)」「相次ぐ来日中止が悲しい・・・。この来日を機に皆に大丈夫だと伝えたい(4月29日)」というメッセージと共に6月1日に来日、宮城県内の避難所慰問を皮切りに渋谷、名古屋、最後に浜離宮朝日ホールでのコンサートという過密スケジュールだ。
私たちのコンサートは6月7日の夜。6日に名古屋公演を終えて、翌7日の午後新幹線で東京に着いたら「そのまま引っ張って来ますよ。いったんホテルに戻ると寝ちゃうから」と木野さんは冗談をおっしゃっていたが、果たして本当に来て下さるのだろうか、疲れているようだったら取り止めにする、ということだったし、なんといっても89歳のご高齢・・・、と思いながらも、ソリストのいないコンチェルトの伴奏の練習だけはしておいた。
プログラムにはもちろんギトリス出演のことは触れていない。
そして当日、本番30分前にギトリス先生は本当に来て下さった。
1部は客席で愛弟子の演奏を聴き、2部の最後で演奏する予定だったのだが木野さんのメンデルスゾーンを客席で聴きたいからということで、冒頭に木野さんと共にバッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲を演奏した。
音量は小さくやや張りがないが、紛れもないギトリスの艶やかな音。途中ちょっとおぼつかなくなり「まちがったか?」と大声で言うのでオーケストラも止まりそうになったが、笑いのうちに1楽章が終了、続いて2楽章、と思ったら「もういい、もういい」と弓でいやいやをしながら退場してしまった。
本領を発揮したのは、木野さんと平澤さんのメンデルスゾーンが終わってアンコールにステージに呼びだされてからだった。
「年寄りだから座って弾かせてもらうよ」と、そこらの椅子を勝手に引っ張って座ると、ピアノの平澤さん相手に、クライスラーの「愛の悲しみ」を弾き始めた。みなさんご存知のギトリス節、最初の数小節でピアノとかみ合わなくなると「年だから座る」と言っていたはずなのにすっくと立ち上がって平澤さんの顔の数㎝のところにヴァイオリンを寄せて弾き続けた。平澤さんはもう鍵盤や楽譜などは見ずにひたすらギトリスの指と弓だけを見て弾く。
テンポや楽譜の指示を無視したかのようなギトリスの音楽は賛否両論だが、日本人に「ぞっこん」の人が多く、またギトリスも大変な親日家だというが、なんだか分かるような気もする。日本の伝統的な民謡や歌謡曲にあるこぶしのようなものを感じるのだ。
2曲目の「美しきロスマリン」では、最後のピチカートの前に平澤さんをじらして弓を空中でくるくると回してみせてからお茶目に「ポン」と弦をはじいた。平澤さんが見事に合わせるとやんやの大喝采。一度ステージを下がったが何度も呼び戻されて、もう1曲、パラディスの「シチリアーノ」を弾いた。
元N響団員でエッセイストの鶴我裕子さんはギトリスの大ファンで、自著の「バイオリニストは目が赤い」の中でこんなことを書いている。「ギトリスの演奏は、だんだんよくなる法華の太鼓で、コンサートの1部より2部、2部よりアンコールがいい。アンコールを聴かずに帰る人は損をする(手元に本がないので記憶で書いています)」
私たちはまさに、本番より素晴らしいアンコールが聴けた、ということだ。
◎終演後、楽屋でサインをしていただく。カメラを持って行くのを忘れて残念だったが、オーケストラ団員のTさんが、私がサインをいただいているときの写真を撮ってくださった!
ビオラのケースには既に二人のサインが。「これはだれの名前?」と聞かれ、アルバン・ベルク・カルテットのエルベン氏とシュルツ氏のだと言うと、「こんなヒゲで、こんな体(太った)のね」とジェスチャー付きでおっしゃった。驚くほど気さくな方だった。
ツアーの途中で駆け付けて、さぞお疲れだろうと思ったが、その後のレセプションも出席して最後まで飲んだり喋ったりされていたそうだ。
◎ギトリスのサイン。よく見るとヴァイオリンの形をしている。
10年ほど前にカルテットのレッスンを受けたときに書いていただいたABQのサインに加えてまた宝物が増えた。
by pataponm | 2011-06-08 11:50 | 音楽