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夜の初めごろ

夕食の支度をしながら、いつも台所にあるラジオを聞いている。
7時のニュースの前に全国の天気予報をやるが、その中で同じフレーズが繰り返されることに気がついた。
「夜の初めごろ」というのだ。「夕方から夜の初めごろ雨、ところにより雷を伴うでしょう」という具合。
簡潔な文章で端的に言い表すものと思っていた天気予報なのに、沖縄から北海道にいたる予報の中で「夜の初めごろ」が何度も繰り返されるのは、かなり不自然で耳障りだ。
何なんだろう、夜の初めごろって・・・と考えていたら、ああ、そういえば、と思い出した。少し前に気象庁が、予報で使っていた「宵の内」という言葉が「なじみが薄く分かりにくくなって来ている」という理由で、他の言葉に言い換えをすることになったという記事を新聞で読んだような気がする。その言い換え言葉が「夜の初めごろ」だったのだ。
なるほど、こんな風に使われていたのか。
それにしても、「夜の初めごろ」とは!もっとましな言い換え言葉はなかったのだろうか。
日本語には、朝、昼、夜の他に、暁、明け方、昼下がり、夕方、宵の内と、聞いただけでその時間帯の空気すら感じる情緒豊かな言葉があるのだ。「つとめて(早朝)」などは、今や枕草子の中で古語として学ぶものになっているのは仕方がないにしても、夜半から夜明けまでの時刻の推移に従って「あかつき」「しののめ」「あけぼの」と、移り変わって行く言葉があるなんて、日本語はなんて奥深いのだろうと思う。
それなのに、「なじみが薄くなったから」というだけで「宵の内」を「夜の初めごろ」なんていう無味乾燥な言葉に置き換えてしまっていいのか。
ちかごろ、「つま先」のことを「足先」と言う若者がいるらしいが、これなども「なじみが薄く」なってくれば「足の先の方」とでも言い換えるのだろうか。
差別用語を言い換えるのとは意味が違う。この種の言い換えを新聞やテレビがあまりやりすぎると、日本語がどんどんやせ細って行くような気がする。
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こんなことを考えていたら、先日のリブラン創作童話で佳作に入った「雪の日のバスの行く先」という作品のことを思い出した。
この作品の作者は82歳で、20年間続く童話賞の中で最年長の受賞者だそうだ。審査員の先生の話によると、原稿はパソコンで印字されるのが当たり前になった今、この方の作品は手書きの楷書で原稿用紙にかっちりと書かれ、全ての漢字に振り仮名がふられていたそうだ。
昭和初期の幼年文学を思わせるような文体で書かれた作品で、その中に「ゆくりなくも」という言葉があった。「ゆくりなくも少年の日のような懐かしい友らとめぐりあい」という文章の中で使われている。
聞いたことはあるけど、正確な意味は分からない!と、あわてて辞書を引いたら「思いがけず」という意味だった。
教材会社にいたころ、書道の先生と電話で話していて
「明日、伺いますが、おめもじかないますでしょうか」と言われ、意味が分からず、うろたえた経験がある。
私の中でも、「美しい日本語」が消えつつある・・・?

by pataponm | 2008-08-04 11:49 | 言葉  

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